浄土真宗東本願寺派 霊鷲山満願寺は、浄土真宗 東本願寺派 霊鷲山 滿 願 寺。南北朝時代、牛鳴峠の南方、耳納連山の最東端に万貫寺城(滿願寺城)があった。城址は東西に長く約 100m、南北に 4~5mで、東・南・北の三方は戸を立てたような峭壁になっている。城は延元 4 年大友に攻められ、落城。これが霊鷲山滿願寺の創建であり、城址はその奥の院であったと思われる。その後、滿願寺は現在の寺の東に移った。移転した滿願寺は、天台宗霊鷲山滿願寺として七堂伽藍をそなえていたといわれるが、時代は戦国時代であり、打ち続く戦乱に焼失し、廃寺となった。そして、その焼け跡に草庵を結んで住していた「玄説」という僧がいた。足立孫左衛門清元が、天正 10 年草庵の玄説の弟子となり、慶長 9 年玄説を導師として剃髪して「了智」と号し。同年本願寺第十二世教如上人に帰依し、浄土真宗となり、帰国して慶長 10 年 3 月、小堂を創建し、霊鷲山滿願寺を再興した。この時の本堂は、桁行六間・裏行五間茅葺きであったが、寛文 10 年 4月、滿願寺第三世祐圓の時、現在地へ寺を移転。桁行 7 間・裏行 4 間の茅葺の本堂を再建。明治 30 年に現在の本堂に建て替え現在に至る。
11/7(金)14:00~
聖人の御誕生及び立教開宗の御勝縁に際し、『箱根の御真影』を様にお迎えをし、『箱根の御巡光 兼 能登復興支援法要 兼 物故者追悼法要』が厳かに勤まります。
法要後、大谷光見御法主台下より御親教を賜ります。